懐古主義になった僕らは今を聴くことができないのか
ぬはっ!バタバタしていた!!!
8日までは短期で出社、10日に自分の参加しているイベント、11日にお手伝いとありまして、
気づけば日にちが経っておりました…
その辺の話は気が向いたらするとして、タイトルのこと。
いつのまにか新しいCDを買わなくなって久しく、
ふと聞いていたバンドの発売年をみると…10年前!?
その時、もう新しいバンドに興味がなくなってしまったらしい自分と、変わらず好きなものと、なんとも言えぬエモさを感じたのでした。
好きだったバンドは解散し、同世代と思われる人たちは頭角を表して飛び立っていく、なんてことない凡人のくせにその事実に少し抗おうとしていたんだなあと思う。
あとは単純に、好みが変わってしまったんだろう。どちらかというと少し尖った音楽が好きだった。今も嫌いじゃない。20歳前後に感じていた「まじ社会しんでしまえ」みたいな気持ちは正確に音楽の好みにも反映されていた。それは今の28歳の私にはあまり残されてなくて、どちらかというと「嫌なら旅に出ようぜ、好きな生き方を選べばいいんだ」といったところだろうか。働き方にも出ているけれど。
半年以内で買ったものは踊ろうマチルダの"新しい夜明け"だった気がする。
どこか遠くの国を夢見て旅しながら、でも帰る場所はこの面白くもなんともない見飽きた場所、そんなことを考えながらライブで聴いたら涙止まんなくなってしまったのを思い出す。(会場が狭く結構明るくて、恥ずかしくてめっちゃ耐えたのも)
今まで聞いていた曲は、その時の私なのだ。
昔のアルバムを見返すみたいに音楽を聴く。辛いことも楽しいことも、その曲には詰まっていて、懐古主義と言われようとそれは思い出だった。そういう言葉にたどり着くために私はこの文章を書いたのだろう。別に音楽は救ってくれない。勝手に縋って、勝手に重ねて、まるで救われたような気持ちになるだけだ。
それでもいい、今を聴こう、新しい何かを刻もう、歌おう。
そんな気持ちをようやく取り戻して、私は遠いどこかを夢見ていたい。
人間に騙されても、化け物は人間が好きなんだよ!わんわん
そういえば、写真はTDLの惜しまれつつ無くなったアトラクション。たまたま最後の時にいったんだった。もう無くなってしまったけれど、そこにまたワクワクさせる新しいものができるのだろう。
ちゃんと曲作って、改めてライブがしたいなあ。願わくば誰かの旅に連れていって欲しい。音楽に対して、いつでも私は中途半端だ。そのくせ恋焦がれる。道端の草のくせに。
でもそんな気持ちが復活してよかった〜〜と思う冬のお昼でした。
おわり